速読と線引き

本好きな人で、本を読みながら大切だと思ったところにマークをする人がいる。蛍光ペンを文字の上に走らせたり、鉛筆で線を引いたり。斎藤孝氏は、三色ボールペンで色をつけることを推奨している。でも、私はやらない。
速読を推奨する人もいる。一番はやっているのは多分フォトリーディングで、神田昌典氏が訳した「あなたもいままでの10倍速く本が読める」という本はかなりのベストセラーになった。その他、速読に関する本、技術はあまたある。でも、私はやらない。(恥ずかしながら告白すると、速読プログラムなる製品をネットで購入したことがある。画面を見ながら眼球運動するというやつ、あほらしくなってすぐに止めてしまった)
なんでやらないか。
まず、線引きについては、恥ずかしいからである。私の読書はほとんど通勤電車の中で行われる。真剣に本に食い入り、ペンを手にし、マークするなど、私の羞恥心の許容範囲をはるかに超えている。家で読書するとき、やったことはあるが、あとで本を読み返したとき、そのミミズが走ったような跡が気になって集中できない。ボールペンで線を引いた日には、そのページの裏面の惨状に自分のおろかさを呪わずにいられなくなる。で、私がやっているのは、これは! と思う記述があったら、ページの角を折ることである。この場合、これは! と思う記述が多いとき、それは本来喜ばしいことなのだが、ページの角の折りすぎに辟易する。まるで、ページの角を折るために本を読んでいるのかと思ってしまう。だが、今のところ、これに変わる方法がないので、この習慣は続けられている。
次に、速読について。先に書いたように、速読プログラムに挑戦したし、上記のベストセラー本も読んで、実践したことがある。で、確かに、速く読んで、読んでというか目を通して、分かったような気になる。大切なところを拾い読みしたと言う感じ。2〜3時間かかるところを30分で読み終わり、得した気分にはなった。しばらく続けてみたが、どういうわけか、やめてしまった。どうしてか考えてみると、フォトリーディングといっても、結局大切なところはじっくり目を通すのである。大切そうなところをページをめくりながら探して、ここかな、というところをじっと読む。無駄を省く精神がここにある。要らないところは無駄だと。でも、無駄なところも、そこを目を通すことで、思索が広がったり、はっとするような気付きがあったりする。そんな気がするのだ。それに高速スピードで情報をインプットしても、私の頭のほうがついていけないと言うこともある。たぶんやめた理由はこんなところだろう。