danranをHNとした理由

danran=団欒をHNにした理由。
それは、私は一家団欒を大切にしますよ、という
静かな意思の表明なのでした。

もちろんここでいう一家団欒とは、
私の大切な妻、息子、娘との団欒の時のこと。

人はみな、一家団欒を必要としている。
一家団欒とは、
自分の居場所があり(ここ、重要)、
自分を認めてくれる人たちがおり(ここも重要)、
その空間に身をゆだね、
安心してバーバル、ノンバーバルコミュニケーションをとることのできる、
時間・空間のこと。

一家団欒さえあれば人は狂わない。
酒鬼薔薇聖斗のように「透明な存在であるボク」などと
感じるはずがない。
子どもにとっては特に重要だ。
大人は家庭の外に、仮想家庭を築いて、そこに一家団欒の場を
形成しうる。
例えば会社人間と呼ばれるような人にとっては、
自分の居場所があり、
自分を認めてくれる人たちがいる、と実感できるのは、
家庭よりも会社での方が強いのであろう。
彼は必ずしも、家庭内に一家団欒を必要としないであろう。
しかし、子どもは?
子どもが、家庭外にそのような場が形成できる?
家庭内に求めて、失敗に失敗を重ねた子どもたちが、
お互い身を寄せ合うように形成することはありうる。
(いわゆる非行グループ(死語?))
だが、最初は必ず家庭内に求める。
必ず。
兄弟がたくさんいれば、昔のように8人も9人も兄弟がいれば、
親が関与しなくとも、子どもたちだけで一家団欒の場を
形成できたかも知れない。
だが、少子化の現代では無理だ。
だからこそ、
親として、
応えてあげたいのだ。
そう、
私は、子どもの成長に深く関わりたいがために、
一家団欒を大切にしたいのである。