deep satisfaction

『人は何のために生まれてきたのでしょうか。
 それは幸せになるためではないでしょうか。
 では、幸せとはなんでしょうか。
 私はこう思います。
 
 人のために役に立ち、
 そのときふつふつと沸き起こってくる満足感、
 その深い満足感、
 deep satisfaction
 を、
 私は幸せと呼びたいと思います』
 (ダライ・ラマ14世
 
この言葉にはじめてあったときはしびれた。
ああ、そうなんだ。俺たちにとって、
人の役に立つことが幸せなんだ。
だから、人のために役に立つようにがんばろう、
そう思った。
 
今はちょっと違う。
どこが違うかというと、まず、
『人のために』
というところ。
このままでは、対象としているのが、
すべての人、人類全体であるという印象を受けてしまう。
私はこれを、
『大切な人、好きな人』
としたい。
人類を救うみたいな大風呂敷を広げるのは嫌だし、
嫌いなやつのために役に立ったって、うれしくも
何ともないからだ。
そして次が
『役に立ち』
というところ。
これじゃまるで、役に立たない人間には、
幸せは訪れないみたいだ。
別に役に立たなくたっていいじゃないか。
ここは、
『喜んでもらえたとき』
くらいにしておきたい。
その人がやったこと、しゃべったこと、あるいは存在そのものが
『喜んで』もらえる。
それで十分幸せを感じることができると思うのである。
 
ちょっと長くなるが、最後に、言いかえるとこうなるというのを
記しておきたい。
 
『人は何のために生まれてきたのでしょうか。
 それは幸せになるためではないでしょうか。
 では、幸せとはなんでしょうか。
 私はこう思います。
 
 大切な人、好きな人に喜んでもらえたとき、
 そのときふつふつと沸き起こってくる満足感、
 その深い満足感、
 deep satisfaction
 を、
 私は幸せと呼びたいと思います』
 (danran)