おばあちゃん

おばあちゃんという存在は人間にしか見られないそうである。どういうことかというと、人間以外の種のメスは、繁殖能力を失った時点で遠からず死んでしまう。これは、種の保存という使命を全うしたため、生き続ける理由がなくなったから死ぬのであり、理由のないものを生き続けさせるのは自然の摂理に反しているのであろう。ところが、人間のメスは、生殖能力を失ってからも、すなわち閉経してからも、相当期間生き延びる。これが、人間におけるおばあちゃんという存在の特異性なのであるが、なぜそんなことになったか。そこには当然理由が求められる。(なお男性には女性の閉経に当たる生理現象はないため、たとえ不能であっても、生殖可能な存在として認められる。すなわち、上記の意味でのおばあちゃんに対するおじいちゃんは存在しない)おそらくその理由は、人間の子どもは生まれてから成長するまでの期間、大変な保護を必要としていて、しかもそれが相当長い間続く。この仕事は、その母親だけで成し遂げられるには余りにも過重である。そのため人間という種は、おばあちゃんを発明したのではないか。母親を手伝い、補佐するための存在として、自然の摂理に反してまでも生み出したのではないか。こういった見解を以前何かの本で読んだ。
私はこの意見に賛成することにした。そして昨日、こう宣言した。私はおばあちゃん(的父親)になる。英語で言えば、grandma-fatherとなる。今日から、danran = grandma-fatherである。
子育ては母親一人で成し遂げられるには余りにも過重なのである。誰かの支援が必要なのである。おばあちゃんが同居している必要があるのである。ところが核家族化が進んだ今、母親のもとにおばあちゃんはいない。これでは母親は、肉体的精神的両面で疲れ果ててしまうであろう。この疲れた母親は、子どもに対して心無い扱いをしてしまいがちであろう。(このことは昨今の虐待の事例からも明らかである。)これは子どもにとって、好ましいこととはいえないであろう。では、どうするか。
父親がおばあちゃんになるのである。できるだけ母親・子どもをフォローするのである。母親は助け、子どもは救うのである。それが私の出した解答である。母親に対しては、子育てだとかその他もろもろの悩みを聞いてあげる。子育ての大変さを理解し共感してあげる。家事を少しぐらい手伝ってあげる。息抜きに出かける時間は子どもを預かってあげる。
子どもに対しては、例えば、母親がついカッとなって、子どもに「いつも遊んだらちゃんと片付けなさいと言ってるでしょ。なにやってんの。」などとどなったときにはフォローしてあげる。「お母さんはああいってるけど、お母さん自身、子どもの頃、実は全然出来なかったんだからね。だから、気にすんじゃないよ」みたいな感じで。こういった救いが子どもには必要なのである。(どっちかが、ガーッと怒ったら、さっとフォローしてバランスを取らなきゃいけないと思っているので例としてあげた。そう思わない人もいるだろうが。)
これらの仕事は、おばあちゃんの仕事だったのであろう。だからこそ、おばあちゃんは母親、子どもにとって重要な存在であった。母親を助け、子どもを救うための存在であった。ところが、そのおばあちゃんが、本来居るべき場所から閉め出されてしまった。そのひずみが、社会現象化してきているのである。だからこそ、父親がおばあちゃんの代わりになる必要があるのである。
さて、こんなことを書いているdanranは、ちゃんとこの役割を果たしているのであろうか。はなはだ心もとない。今日こんなことを書いたのも、実は、昨日、奥さんに、私の発言が時に、奥さんにとってプレッシャーになり、疲れる。みたいなことを言われたからである。ごめんなさい。気を悪くするかな、とは思うんだけど言わずには居られなくなってしまうんだ。思ったこと言わないなんて、死んでるのと同じだしな。話し合って、分かり合っていくしかないね。ああ、兎角人の世は難しい。