女はなぜ捨てられたがるか

フェミニストから激しい攻撃を受けそうなタイトルを書いてしまった。こんなことを書いた背景を説明したい。
私は「男は不能を恐れており、女は男に捨てられることを恐れている」のではないかと思っている。(今、表題と全く逆のことを書いたが、そのことはいずれ明らかにする)男の不能恐怖については、いろんなところで論じられているのでここでは触れないが、女が男に捨てられることを恐れているというのは、太古の昔、女は男の庇護無しでは生きていけなかったのではないかと想像するからである。男に捨てられるということは、女にとってほとんど死の宣告に近かったのではないか(もちろん力がないため)。捨てられた女は、誰か他の男に頼らざるを得ず、それが成し遂げられるまでの期間は、相当な恐怖の中におかれていたのではないか。
「弱い女と強い男は存在しない」という名言があるが、強い男が存在しないというのは、サルの世界を例にして考えると、次のように説明できる。普通のオスザルにしてみると、自分より強いボスザルが目の前におり、そのボスザルがメスをほとんど独占している。その現実は、自分はメスに選んでもらえないのではないか、自分より強いオスにメスを持っていかれるのではないか、という不安を生み出さずにはいられない。ボスザルでさえ、いつ自分より強いサルが現れ、それに取って代わられるかもしれず、常にその不安にさいなまれている。だから、自分を強いと確信できないのである。
続いて、弱い女が存在しないというのは、男に捨てられるという恐怖に常にさいなまれている女は、ある意味腹が据わっており、いつでも覚悟が出来ている。そうでないと、いざ現実でそういった事態に直面したとき、対処できない。強くなければ生きていけないのは、実は女なのである。(レイモンド・チャンドラー:「(男は)強くなくては生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」。(男は)はdanranの挿入)要するに、女が自分の中に絶対的強さを必要としているのに対し、男は、他の男と比較した上での相対的強さを求めているのである。ここに、女が強く、男が弱いということが証明される。
また、遺伝子的観点から見ても、男より女のほうが明らかに価値が高い。もちろんこれは、その生殖的な役割によるのであるが。よく引かれる例では、船が沈没しそうになったとき、女・子どもを先に救出しようとするが、これは女のほうが男より価値があるということを示している。分かりやすく言えば、100人しか生き残れない状況に陥ったならば、おそらく人類は、99人の女と、1人の男を生き残らせるであろう。もし、99人の男と、1人の女を生き残したとしたら、次世代の子どもはせいぜい1〜8人くらいであるのに対し、99人の女がいれば、99〜792人の子どもが期待できるのである。これを女はよく知っているのである。女の方が男より価値が高いと思っているのである。だからこそ、女は強くなれるのだ。(逆に男が弱くなるともいえる)
さて、表題の、女はなぜ捨てられたがるか、であるが、捨てられる恐怖を内在した女が、なぜ捨てられたがるのか。それは、女は、まず自分が安心するため(捨てられる恐怖から逃れるため)、自分を捨てない便利な男を求めるのであるが、太古のボスザルの時代の記憶が残っており、遺伝子的にはボスザルを求めているのである。ボスザルは当然、いろんな女ととっかえひっかえ交尾する。そして、交尾したあとは、その女を捨てる。これを倒錯してしまって、とっかえひっかえ交尾しまくるオスを、遺伝的に優位なオスであると勘違いしているのではなかろうか。男をみて、あ、このひとはいろんな女ととっかえひっかえ交尾しそう。きっと遺伝的に優位なひとなんだ。こう思ってしまうのではないか。これを、私は、「捨てられたがっている」と表現しているのである。
さて、では私はどうか。残念ながら私は典型的な女にとって便利な男である。とっかえひっかえなどとても出来なかったし、これからも出来ないであろう。私は遺伝子的に劣等なのである。ああ、自分のもって生まれた宿命を呪わずにはいられない。