ロードスターの思い出

今、私の乗っているクルマはカローラワゴン。買ったのは、篠原ともえがCMでさんざん「カロゴンです〜」と叫んでた頃。篠原ともえのCMになぜか魅力を感じて買ってしまったのだが、200万円以上出して、カローラを買ったことは、まわりの失笑をかったものだ。
そんな、クルマにあまり関心のない私だが、カローラ以前に乗っていたユーノスロードスターにはとても思い入れがある。クルマに乗ることが、楽しいと思った。好きなときには幌をあけて走れるし、アクセルを思いっきり踏み込んでの加速感も最高。ずっとロードスターに乗っていたいと思ったものだ。
ところが、ロードスターに3年ほど乗ったころ、結婚が決まった。周囲の人(親たち)が言った。「結婚してロードスターじゃあねえ」
私は思った。俺は、このロードスターを気に入っている。まるで手放す気はない。他のクルマに買い換えるなんて想像も出来ない。だから、「このロードスターがぶっ壊れて走れなくなるまで、俺はロードスターに乗る」と言ったもんだ。
ところがその日は意外と早くやってきた。結婚の3ヶ月くらい前だ。雨の降る夜、高速道路を走っているとき、多分、ハイドロプレーニング現象というやつだろう。氷の上を滑るように(本当に!)私の愛車ロードスターがツルッと横スピンした。180°回転したところで中央分離帯のガードレールにぶつかってスピンは止まった(ガードレールがスピンを止めてくれなかったら、ロードスターはゴロンゴロンとタテ回転していただろう。ハードトップをつけていなかったので、そうなったら確実に私は死んでいただろう。まさにガードレールが止めてくれたとしか言いようがない)のだが、電気系統がいかれたのだろう。ライトが消えていた。
真っ暗な夜の高速道路の追い越し車線に、ライトのつかないクルマが一台、停車している。これがどのくらい危険な状態なのか、よく理解していた。すぐ後続のクルマがなかったことが幸いして、私は脱出することが出来た。しかし、1分もしないうちに後続車がやってくるだろう。なんとか、私のクルマが止まっていることを、彼らに伝えねばならない。私に出来ることは一つしかなかった。そう。私は両手をあげて、手を振ったのだ。船で旅立つ友に手を振るように、両手を挙げて。私は手を振った。そして叫んだ。「おーい、俺のクルマが止まってるぞー、危ないぞー」
しかし、その声が届くわけがないことも知っていた。近づいてきたクルマが見えてきた。よりによって特大のトラックだった。しかも隣に普通車がおり、ぴったり並んで併走している。最悪。私は私に出来ることをするのみだった。「おーい、あぶないぞー」
トラックが、私のクルマの手前5mくらいでブレーキを踏んだように感じた。私の大のお気に入りであったロードスターの最後の瞬間であった。時速100kmくらいで突っ込んできた大型トラックの下部にめり込み、大きな音をたてながら、数十メートルすきずられていった。
カラオケみたく、「フー」とか「イエー」とかさけべりゃよかったのだが、私の口、舌、喉は、そのような動きを拒否した。かたくなに。私が発した言葉は、ただ、「あーーーーーーーーーーーーーー」であった。
解説する。あんぐりと口をあけて、腹にたまった空気を押し出す。この運動だ。この運動しか出来なかった。そう、本当の叫びとは、こういうものだと知った。それは虚飾のない叫びであった。
ムンクの叫びはウソだ。あの口の形には余裕がある。あれは「フー」とか「オー」とか言っている口だ。本当の叫びでは、あんな口の形にはならない。もっとだらしない口だ。あんぐりとだらしなくあけた口だ。
そして今、私はカローラワゴンに乗っている。いつかまたロードスターに乗りたい。が、所帯持ちで子どもがいるので今は無理だ。そう、私の夢は、60歳くらいになったころ、もう一度ロードスターに乗ること。助手席に20歳くらいの彼女を乗せて。おっと、奥さんの間違いでした。