宮台真司と鈴木光司

実は今日からしばらく仕事が休み。来週月曜日に出勤だが、それまで休み。理由は仕事のちょうど節目で、会社が休みをくれたから。こんなにもらえるのはさすがに初めて。
うれしい。
たまった本を読んだり、映画を見に行ったり、何をしようかと思っている。
それで、今日、現時点で2冊の本を読んだ。
ひとつは、『依存姫』(菜摘ひかる著)。元風俗嬢の著者が、彼女曰く、”どこにでもいる”風俗嬢を描いた短編小説。
確かに”どこにでも”ある話なのだろう。だが、ぐいぐい引き込まれ、あっという間に読み終わってしまった。4篇が収められていて、それぞれ、整形手術を繰り返す女、買い物依存症の女、ホストにはまる女、男に抱かれていないと不安でしょうがない女が扱われている。
彼女らの気持ちに、共感する。読んでよかったと思う。
なぜこの本を購入し、読んだか。それは、「現代を生きる」ということを感じるため。風俗嬢を扱った小説だが、その心根において、私と共通するところがあると思ったから。
そして共感できた。何にか? 「先の見えない不安な時代。それでもこの時代を生きる」という態度に、だ。
表題と違う話になってしまった。二冊目は、『援交から革命へ』(宮台真司著)。これからが、今日、書きたいこと。
本書中に、鈴木光司著『新しい歌を歌え』に寄せた宮台真司の解説と、その解説に対する鈴木光司の感想とが納められている。ここを読んでピーンと来てしまったので、パソコンをオンにして、今、この文を書いている。
何にピーンときたか? それは、鈴木光司に、ちゃめさんが似ている。と思ったから。
本文から引用すると
『僕はよく年長者がする、「昔はよかった」「今の若い者はなっていない」という言い方は絶対にしたくない。世の中がどんどん悪くなっていくなら、その中で年を重ねるということはどういうことなのか? 若いエネルギーがなくなってしまうじゃないか、と思うから』(前著p164より)
ここを読んだとき、『あっ、ちゃめさんだ』と思ってしまった。
ちなみに、ちゃめさんが、彼と同じ意見かどうかは知らない。私が似ていると思ったのは、二人のスタンスだ。どういうことかというと、二人とも、すごいポジティブだということ。自分の立っている位置を、理解し、納得している。そして未来を引き受ける決意がオーラとして感じられる。二人とも思想的にかなりマッチョだ。
一方私は、まだ迷いが強い。迷ってばかりだ。だから、大量に本を読まざるを得ない。私は本好きだが、実態はほとんど、本依存症だ。
(以上、終わり。ちなみに以下に私と宮台真司鈴木光司の本との出会いを書きます)
先に(本に)会ったのは鈴木光司のほう。10年程前、友人に、鈴木光司著『リング』を薦められて読んだのがきっかけ。友人曰く「初めてホラーを読んで怖いと思った」。同書には私も満足し、その後、『らせん』、『楽園』、『ほの暗い水の底から』など読んだ。ちなみに、一番好きなのは、ぶっちぎり『楽園』なんだけど。
次に、宮台真司との出会い。それは鈴木光司著『パパだからできる』に、鈴木と宮台の対談が納められていたから。同書で初めて、宮台真司に出会ったのだが(6,7年前くらいか)、実はかなり衝撃を受けてしまった。
天才だと思った。そして、当然のように彼の本を購入した。書名は『これが答えだ!』。
残念ながらついていけなかった。理論は明晰で、なんとなくは分かるのだが、体で納得できなかった。私の思考能力を超えていたと言ってよい。
そして、それ以来、宮台真司から離れていた。意識的に読まないようにしていた。ところが最近、『売る売らないはワタシが決める』(松沢一呉著)を読んで、なかなかよかったのだが、この本の中の対談で、宮台真司が出ていたのだ。そして、彼の意見に、実に共感できたのだ。
だから、私の中のミヤダイの封印を解くことにした。これから彼の著作をいくつか読んでいきたいと思う。
そう。
今日言いたかったことは、
鈴木光司とちゃめさんが近く、
宮台真司とdanranが近いんだなー
と、思いました、ということです。