ヒューマンスケール

先日仕事で、三宮の神戸市役所近辺を歩く機会があった。震災の影響か、はたまた再開発が進んだのか、実によく整備されていた。
地面は真平らにならされ、アスファルト舗装やインターロッキングブロックで化粧されていた。20m角くらいの高層ビルが屹立し、街路樹たちが行儀よく整列していた。
洗練された街、三宮を象徴するような空間であった。
しかし同時に居心地の悪さも感じた。快適な空間にいるにもかかわらず、場違いな感じ。この気配はなんだろうと考えて、思い至ったのが、「この空間はヒューマンスケールでない。だから居心地が悪いのだ」という考えである。
人間にこのスケールは異常だ。一度そう考えてしまうと、その観念から抜け出せなくなり、そこにいること自体が不安になった。
告白すると、かつて、震災があったとき、「古くて汚いのがつぶれ、新しくきれいな建物に取って代わられることで、神戸は世界で一番きれいで魅力的な街になるかもしれない」などと思ったことがあるのだが、いかに浅はかであったか、いまさらながら気付いた次第である。
はっきりと、古汚い路地が、ヒトには必要だ、と断言できる。別に汚くなくてもいいか。とにかくそうなのだ。そう感じたのだ。